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日本管楽器株式会社の歴史を探る

日本管楽器株式会社(ニッカン)
創始者:江川仙太郎 氏 (銅細工師)

1892年(明治25年)江川仙太郎氏 陸軍工廠勤務 → 独立して東京市浅草区で管楽器の修理を始める。
1902年(明治35年)江川楽器製作所設立  → コルネット、トランペット等国産管楽器の製造に乗り出す。
1918年(大正 7年)合資会社 日本管楽器製作所新発足  → 軍用ラッパ等製造
1937年(昭和12年)日本管楽器株式会社(ニッカン)へ発展
1982年(昭和62年)最大の取引メーカー日本楽器株式会社(現:ヤマハ)から援助を受ける。
         日本楽器株式会社社長(川上嘉市氏)を監査役として迎えるなど、実質的にヤマハの子会社となる。

日本楽器株式会社(ヤマハ)
創始者:山葉寅楠 氏 → 浜松尋常小学校(現:元城小学校)でオルガンを修理したことがきっかけ。

1888年(明治21年)浜松で日本最初の本格的オルガン製造に成功したことで始まる。

                            【ニッカンの歴史資料より】

以上が日本管楽器株式会社(ニッカン)の歴史の様です。

これより私と日本管楽器との思い出を少し聞いて下さい。
中学生から那須ロイヤルセンター音楽隊へ入隊するまでニッカン以外のメーカーは知りませんでした。
昭和43年に初めて私の人生を変える出来事がありました。
日本管楽器株式会社(ニッカン)吹奏楽団を見て、自分も日本管楽器吹奏楽団へ入りたくなった。
早速、手紙を書き、埼玉県入間郡にあった工場まで面接に行った。
日本管楽器吹奏楽団は会社のクラブ活動で仕事の合間に練習してコンクールや地域の祭り等に出演している。との話を聞いた。
当時、私は16歳で迷った末、日本管楽器吹奏楽団をあきらめた。中学校を卒業して直ぐ、宇都宮の丸井デパート楽器売り場のガラスケースにニッカンインペリアルトランペットを発見。
見た事のない3色で3番スライドのストッパーなど一瞬にしてトリコになり、即、10回払いの分割で購入。価格は36,000円(私の給料は当時2万円くらいだった)
電機会社で働いていた私はその楽器で2年間練習をして、トランペットで仕事をすることを目標にチャンスを待った。
しかし、中々、思うような音色が出なくて悩みながら2年後、吹奏楽の雑誌(バンドジャーナル)に那須ロイヤルセンター音楽隊の隊員募集で面接に行き見事入隊で来た。
楽器はニッカンのインペリアルを持って行ったが使用することはなかった。音楽隊で自分に用意された楽器はセルマーインビクターだった。その他に西ドイツのヒュッテルがあった。
2年間那須ロイヤルセンター音楽隊でセルマーのインビクターで練習や演奏をした。しかし、音楽隊を退団するさいに寮の押し入れにニッカンインペリアルを忘れて来たようだ。
しかし、どうした事か、インペリアルには未練はなく、次ぎへの演奏場所へ行くため購入したのはベッソンのトランペットだった。当時7万円くらいだったでしょうか。
特に魅力は無かったが価格が手ごろだったからだと思う。ベッソンは後々コルネットが有名なメーカーと聞いた。
ニッカンとの思い出は那須ロイヤルセンター音楽隊入隊までで、その後、ニッカンの楽器は見ることが無く、
のちに私が入隊した横浜ドリームランド吹奏音楽隊の後輩がYAMAHAの赤ベルで演奏していた。しかし、世の中はビンセントバックがトランペットの最高峰とされていた。
私の人生を動かした日本管楽器吹奏楽団の写真を添えて日本管楽器株式会社の歴史、私との関りを終わりにします。